トピック

2009年06月08日<br />06:17 岐阜のお座敷文化について!!8月13日
なすっち

今回のゲストは、岐阜に残っている「お茶屋」に籍を置く青木喜久次氏です。

特定非営利活動法人「花の会」の一員として、伝統芸能をいつでも見られるようにする活動を実施されています。

是非、「おもてなしの心」をもって住みやすいまちづくりを心掛けておられる青木さんとのトークをお楽しみくださいね。
<<トピック一覧ページに戻る

コメント

[全てを表示]    1~4を表示
2008年09月06日<br />20:45 イエメン
 大垣の郭町にも今でも芸者衆が活躍されています。検番もあり、お座敷に呼ばれているようです。昔からのおなじみさんに呼ばれると断れないとのことです。姉さん方は60台の後半の方が多い。10数人活躍されてるようです。
2008年09月06日<br />23:35 なすっち
イエメンさんへ

大垣にも、今でも芸者衆がいらっしゃるんですね。
60台後半の方が多いということですが、今後、若い方へ受け継がれていくのでしょうかね。
2008年11月08日<br />16:48 イエメン
往時をしのばせるお姐さん方の話を聞くのは、何か文化を感じさせる。しきたりやら受け継がれるものがあったように思う。ま、かつてのような旦那衆がいなくなり、ライ○○ズクラブ、とか、お日さまの当たる場所での社交ゴルフとか流行ってくると、おのずと姐さん方も、洋風に衣替えせざるをえんわな。そうなりゃ、室内や月夜や宵の口とかから、遊び時間も場所も変わってきますわな。知り合いの姐さんも着物はずいぶんと処分したとのこと。膝に負担のかかる正座が長時間できない歳になったらやれないわねとのこと。
2008年11月24日<br />07:37 イエメン
大垣で活躍されていた、芸者衆は墨俣や養老へも出張することがあったようです。墨俣町に今でも残っている料亭などでのお座敷だったようです。ここは昔、長良川の水運で栄えた岐阜の風待ち港になっていた場所です。舟が港に寄港すると、船乗りたちが長い水上生活から体を休める港だったとか。当時長良川の川岸を風だけでなく人力でも舟を上流へ引き上げたとのこと。
、まだ、墨俣町や大垣が水運で栄えていた時代。明治の前半までくらいの話です。
[全てを表示]    1~4を表示
団体紹介
団体名:FMわっち「岐阜の未来」
開設日:2006年12月19日
メンバー数:3人
カテゴリ:県内
▲このページの先頭へ戻る